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Journal #37

あの人の人生を変えた一品 vol.2

2016.10 Photography & Text: 加藤 孝司

手触りを感じる道具や、地に足のついたもの。作り手の顔が見えるものがたりのあるものたち。
SyuRoはこの街に生まれた宇南山加子さんがオーナーをつとめる
東京台東区鳥越にある暮らしの道具をそろえるお店だ。
オープン当時はライフスタイルや雑貨などのお店がなかったこの街だが、
オープンしてから9年でだいぶ街も様変わりした。
店内に新しいものと古いものとが同居している様は、
どこかそんなこの街のあり方や人の生き方にも似ている。
国内だけでなく、世界の人びとを魅了してやまないSyuRoの暮らしの道具。
人生を変えた一品について、お店のこと、働き方、生き方についてお話をうかがった。

SyuRo 宇南山加子さんインタビュー 伝えつなげていくものがたりのあるものたち

シュロをはじめた頃のこと

── お店がオープンして何年目でしたっけ?

2008年にオープンしたので今年で8年目です。

── 今ではすっかりこの街に馴染んでいて、それにしても8年ですか。早いですね。

本当に時間が経つのは早いですね。

── この8年で暮らしを取りまく状況もだいぶ変わってきましたが、ご自身はいかがですか?

お店を始める前と今とで仕事の仕方自体は変わっていませんが、お店を作ることで人との関わり方が変わりました。友達も仕事も繋がりがものすごく広がりました。そういった意味ではライフスタイルも変わったと思います。

── このエリアにもお店がだいぶ増えてきましたね。そういった意味でも変わったことはあるのではないでしょうか。

仕事の仕方もそうですが、近所に近い考え方をもったオーナーさんのお店が増えたことで、仕事を離れても趣味で繋がることも多くなりました。公私ともにこの街で楽しむことができるようになったのは、個人的にはとても大きな変化です。私自身この街で生まれ育ってお店をする前は、息子が小さかったこともあり、子どもと一緒に何かすることが中心だったのですが、一個人として楽しめることが増えたと思います。

── それはこの街に限定せずに世の中的にそうなってきたのだと思いますか?というのも、とくにここ数年、「ライフスタイル」ということもそうですが、どのように暮らすか、あるいは楽しむかということがひとつのテーマになっているように思います。

どうなんですかね。一昔前は子どもがいるから親の楽しみは二の次というところもあったと思うんです。でも最近では私のまわりもそうですが、大人も子どもも一緒に自分のことを楽しもうということがとても増えた気がしています。

── お店は8年前のオープンですが、それ以前にもデザイン関係の仕事をされていたんですよね?

はい。実はデザインの仕事で独立してから今年で18年になります。

── 最初から屋号はSyuRoだったのですか?

はい。棕櫚の木の大きな葉っぱをイメージしたSyuRoの名前でデザイン会社を立ち上げました。今も続いていますが一番最初の仕事は空間ディスプレイやスタイリングでした。それと他社さんのノベルティのデザインや生活まわりの商品の企画などの仕事を主にしていました。それから2003年に台東区が若手のデザイナーを支援するために立ち上げた「台東デザイナーズビレッジ」に入って、そこでTシャツやストールなどの服飾雑貨のデザインもしていました。

── 鳥越にお店をだしたのはなぜですか?

いい物件に出会ったというのが一番ですね。デザインの仕事をしてきて、いい物件さえあればお店は出したいとはいつも思っていました。デザビレに入った3年目には特にものすごい数の物件をみましたね。それで台東区に限らず、この周辺で物件ありきで探していたときにちょうどいい物件に出会いました。

── デザビレには何年いたんでしたっけ?

本当は3年で卒業しなければならなかったところ、最終的に4年いました。3年やりながら、それでもいい物件に出会うことが出来なくて、それで1年延長させてもらっていい物件に出会うことができました。

── SyuRoとしてお店を始める前はオリジナル商品の卸をしていたのですか?

お店を始める前にはオリジナルは数える程度でしたので卸はほとんどありませんでした。当時はOEMのデザインの仕事、空間デザイン、スタイリング、グラフィックなどSyuRoオリジナル以外の仕事が中心でした。

── SyuRoに初めて訪れたとき、今では時々見かけますが、プロダクトを売るお店なのに店内にお店と同じくらいの広さの工場が併設されていて、土間のような空間もそうですが、それがとても新鮮でした。このスタイルはどのように思いついたのですか?それはものを売ったりお客さんに伝えるためには、自然にそれがつくられる場所もすぐ近くにあるべきだということでしょうか。

そのことに関しては自分ではあまり気にしていなくて。最初から思っていたのは単に商品を売るだけのお店にはしたくはなかったということです。お店って普通は売るものがお客様の目に見えるところにあって、ストックも含めてそれ以外のものはバックヤードに隠してあるじゃないですか?裏側を見せても、それでも商品に共感して買っていただけるというお店が素敵だなと思っていました。個人的にそういうお店があってもいいなと思っていたんです。商品を作っているところ、お取引先さんとの会話など、そこで扱うものの全て、そのリアル感のようなものをお店でも見せることができたらいいなと思っていました。

── それって町の定食屋さんやラーメン屋さんなどに近い気がしますね。カウンター越しに料理をつくっている職人さんの手元がなんとなく見えていたり、お店の人同士の会話、テレビの音、注文の電話のベルの音が聞こえたり。

小さな頃からデパートやスーパーの実演販売が大好きでした(笑)。そんなところにも影響されたのかもしれませんね。

── でもそれがお店に並んでいるそれぞれの製品の作り手の顔がみえるSyuRoのあり方や、ものを伝える姿勢に繋がっているような気がします。

そうですか。そういっていただけるのは嬉しいです。

── あからさまにデザイナーは誰々ですとか、こんなすごい職人さんがつくっていますとか言わずとも、身の回りにあるものには、必ず誰かが関わって生まれているんだよ、ということを教えてくれている気がしました。それって実はとても大切なことで、特に東京の下町や田舎の工場では、家のドアを開け放って、道行く人にものを作っているところや仕事をしている姿が見えていて、それが街の風景を形づくっていたり、生きる上での大切なことを教えてくれているのだと思います。

本当にそうですよね。鳥越にお店を出した理由のひとつはデザインの仕事をしているときに、取引先の方に台東区でデザインの仕事をしていることをやんわりと否定されたことがあったんです。そんな土臭いところでやらずに、もっと華やかなところで仕事をすればいいのにと。当時からおしゃれなお店で売っているものの多くが台東区や墨田区や大田区などの下町で作られているにも関わらず、そんなふうに言われて。ここら辺には文化や魅力的なところはたくさんありますし、きちんとものの良さや作り手の思いを知って欲しいと思ったのが、ここでこのようなものを扱う動機のひとつになっています。それと息子がまだ小学校にあがる前でしたので、鍵っ子にならずに、ただいまって言って帰ってこられるお店にしたかったというのもあります。

── それって働く環境としてもとてもいいですよね。そうしたかった背景にはどのような影響があったのですか?

一番大きいのは自分がそのように育ってきたからだと思います。自営業の家に生まれて、親も家で仕事をしていました。それは友達の家もそうでした。学校からただいまと職場に帰えるのが当たり前でしたから。ですので逆に子どもの頃は鍵っ子に憧れました(笑)。自分の子どもにも小さな頃は特に、家に帰ったら誰かがいる方がいいと思ったので、住んでいる場所の近くにお店をだしました。

── それはかつての下町や田舎では当たり前で、SyuRoも当たり前に街の風景のひとつになっているところが素敵ですよね。

“その先”に伝えたい、もの選びへの思い

── お店に置くものはオープンしてから変わりましたか?

基本オープンしてから変わりません。五感に響く生活雑貨を扱っていて、オリジナルが6割、残りがセレクトとアンティークになります。アンティークを置く理由は、元々骨董など古いものが好きだったというのもあるのですが、街が古いですから、新しいものばかりではしっくりこないと思ったからです。

── お店で扱うものを選ぶ基準はどのようなことですか?

デザインがシンプルで、日常使いができること。使い勝手がいい、誰かに贈りたい、飾って楽しいこと、が基準になっています。着飾るものではなくて、普通の生活に馴染むもの、それがあることで少し心が豊かになれたり気持ちがプラスになるものを置きたいと思っています。お店を始めたときから、単に商品を並べるのではなくて、例え野草であってもそれを一輪飾ることで周辺の空気や心持ちが変わるように、それがあるとまわりの風景までもが少し変わったらいいなと思いながらお店をやっています。それと、それを手にしたことで何かのきっかけになるものであったらいいなと思っています。

── まさに宇南山さんの転機となったものですね。

はい。それで父ではありませんが、身の周りにはたくさんの職人さんがいることに気づきました。どのような思いでそれをつくっているのか、自分の力は些細なものですが、何か関わることで作り手の思いや技術を伝えていきたい。それが自分の仕事だと思いました。その思いを伝えたいと思い、職人さんと一緒にオリジナルをつくるようになりました。角缶についてはこれを作ってくださっている職人さんの健康状態のこともあり、製造が止まっています。その職人さんにしか作ることができないものすごく手間のかかる手仕事でつくられています。その技術を継承することができないかと今動いている最中です。

── オリジナルのプロダクトに関してはどうですか?

職人さんの手仕事や伝統技法、福祉でつくられるものを中心に、SyuRoのフィルターを通して、五感に響くものを大切にものづくりをしています。自分たちが関わることで職人さんが持っている技術を今までとは別のところに伝えることができたり、技術が残るきっかけにもなったらいいなと思っています。オープン当初からのオリジナル商品であるブリキの丸缶や角缶はそのような思いで手がけたものです。通常は和紙やラベルが貼られて、海苔やお茶の缶になっていたものを、そのものがもつ素の美しさを際立たせることで、それまで接点がなかったようなところに、これっていいでしょう?って伝えることが出来ればと思って職人さんと一緒につくりました。丸缶は江戸川区、角缶は台東区の職人さんが作っているものなのですが、このふたつブリキ缶との出会いは私にとってもSyuRoにとっても大きな出会いになりました。

── SyuRoの代名詞であり、大人気商品ですよね。どんなところに惹かれたのですか?

本来、海苔缶やお茶缶などを作っているところにお願いしたのですが、佇まいがかっこよくて、凛としていて、優しさに包まれている商品ができるなと思い、形にしました。すごく評判がよくて、SyuRoを支えてくれるアイテムになりました。

── そのように職人さんと関わりながらものづくりをされていますが、街の風景や人の風貌が時とともに変わっていくように、ものづくりの状況も変化していうことを感じることはありますか?

それは本当に感じます。角缶に関してはこれを作ってくださっている職人さんがご高齢になって生産がストップしていますし。でも切実にそう思うようになったのは父親がきっかけです。父はジュエリーづくりの職人で、子どものころからものづくりをしている背中をみて育ちました。また、発明のようなこともしていて子ども心に父親がつくったものってすごい!と思うものもありました。実はSyuRoの最初のオリジナルで、今でも定番商品である針金と木で出来たブックマークは父の作品なんです。父は製品化できなかったのですが、自分がものをつくるなら、最初に製品化したいと思っていたプロダクトです。父の仕事を自分が継げるなら継ぎたいとも思っていましたが、自分はデザインが好きでこの世界に没頭していました。それでもいつかは継ぐことが出来るかなという思いもあったのですが、結局継ぐことも父がもっていた技術も継承することができませんでしたし、考えていたこともきちんと話すことができずに父はなくなってしまいました。もっともっと話をすることができれば楽しかっただろうなあと今更ながら思うんです。

自分の価値観で選んだもの

── SyuRoのオリジナル商品は今や世界中で愛されています。2020年の東京オリンピックパラリンピックを4年後に控え、日本、そして東京のものづくりは世界から注目されているとはよく言われることではありますが、実感としてありますか?

それはありますね。6年前から海外でも展開させていただいているのですが、それまでも私たち以上に感度が高くて日本のものづくりの良さに気づいていた人は海外にはたくさんいたと思うんです。でも、私自身、SyuRoのプロダクトを携えて海外に行くたびに、職人さんのものづくりに共感してくださったり、こんなにも日本のもののことをよく知って愛用してくれている人が多いことを身にしみて感じて嬉しく思います。誰かがいいと言ったからという価値観ではなく、自分の価値観でものを選んでいる人が多いことに影響を受けますし、私自身共感しました。そういう視点でものを選んでいる人たちに認められたことは、ものづくりに携わり一人の人間としてものすごく自信にもなりました。そういった自分の価値観でものをみて選べる人が増えていけば、世の中の価値観や、ものをめぐる状況も変わっていくのかなと思っています。

宇南山加子 うなやま・ますこ
1999年にデザイン事業を行う会社、SyuRoを設立。商品開発やブランディングやコンサルティング、ホテルやレストラン、店舗などのディレクションや企画デザインなどを行う。2006年、SyuRoブランドを立ち上げる。2008年にオリジナルと五感に響く日常の生活用品をセレクトして販売するお店、SyuRoを台東区鳥越にオープン。SyuRoオリジナルアイテムは、フランス、イギリス、アメリカ、デンマーク、フィンランドなど世界各国で取り扱われている。

── 僕自身も、浅草生まれっていいですねと言われることもあるのですが、5〜6年前までは遊びに来るにはいい街だけど住みたいといってくれる人はほとんどいませんでした。住んでいる以上、そこで暮らしたい!と思ってもらえるような街になれたらいいなと思っていましたが、現在ではいいお店もたくさんできて、住んでくれる人も増えてきました。別の視点ではありませんが、逆輸入されて見直されることってありますよね。

海外の人が評価してくれて、自分たちの価値や魅力に気づくということもあると思うんです。逆にそれはありがたいことでもありますね。この街でお店をやっていることも、ここって素敵でとても魅力的なんだよって今よりも多くの人に分かってもらいたいからそうしている部分があります。ですので、視点を変えるという意味ではいろんなことが同じなのかと思います。SyuRoのものたちを通じて、自分の価値観を信じて、自分がいいと思ったものを声をだしていいと言える勇気をもてる人が増えたらいいなあと思います。でも日本中どこにいても、自信をもって暮らして仕事をしている人はものすごく増えてきましたよね。逆に地方の人の方が素敵に充実して時間を使って暮らしているのをみるとものすごく憧れます。

── そうですね。結局場所はどこにいてもできるんですよね。

私はたまたまこの近くで生まれて、子どももこの街で育てたいと思ったのでここで暮らしてお店もやっているだけです。

── 今取り組んでいることや、やってみたいことはありますか?

今年の8月1日に少し広い場所にお店を移転しました。家具の展示など、もう少し幅広くライフスタイル的な取り組みもしていきたいと思っています。独立する前にお花のアシスタントをしていたときに自由が丘のTIME & STYLEさんに活け込みの仕事に行っているときがありました。家具と器がものすごく素敵に調和している空間を目の当たりにして、自分でもいつかそんなお店をやってみたいと夢にみていました。新しいお店では、空間づくりも含めていろんなライフスタイルを提案することができる場にしていきたいと思っています。

宇南山さんの人生を変えた一品

SyuRoのブックマーク”Minoru”

指物職人がつくるブックマーク。もとは宇南山さんのお父さんが原型のデザインしたものを素材を変えて、SyuRoの1号目のオリジナル商品としてリプロダクト(製造特許取得済み)。厚い本や雑誌も開いたままとめることができるので、読みかけの本やレシピ本をとめるのにも重宝する。

SyuRoのオリジナルのブリキの角缶

お店オープン当初からある定番商品。お店の立ち上げの際にオリジナルを作ろうと考えたときに出会った、角缶は台東区の職人さんに作ってもらっているもの。ブリキの素の素材感が活きたプロダクト。

フライフィッシングの道具

釣りは高校生の時からやっていて、5年前から再びはまっているという。下町のショップ仲間やデザイナーとフライフィッシング倶楽部を組んで、毛針も自分たちで作ったりしている。釣ることもそうだが、まわりの景色も釣った魚をみんなで食べて楽しむのも好きだという。

植木用ハサミ

花のアシスタントの仕事をしていた20代の頃から使っている剪定用ハサミ。とりたてて高価なものではないが、使い心地がよく、道具として手に馴染み壊れにくく、気持ちよく使えるので今も変わらず愛用している。

2016.10 Journal #37
「あの人の人生を変えた一品 vol.2」

Photography & Text:

加藤 孝司

ジャーナリスト

http://form-design.jugem.jp/

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